■2016年06月26日(日)21:18
くまみこ
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深夜アニメの最終回。くまみこ、すごい終わり方でした。
山奥の小さな村に暮らす、くまの「なつ」と巫女の「まち」ちゃんの2人をめぐる、ゆるい日常アニメ。一応、まちちゃんの目的は都会デビュー。しかし彼女の性格が問題。極度の人見知りとマイナスの妄想癖に阻まれて、なかなかデビューできないでいる。それを周りが応援しながらも、しかしなかなか克服できない中での、基本的には日常ギャグ漫画。という内容なんですが、思えばアニメは最初からおかしかった。
まず、まちが精神的に追い込まれたり、人に叩かれるシーンが妙に真に迫っている。ギャグ漫画で人に叩かれるシーンなんてのはよくある描写だし、それは基本面白いものだ。しかし、あれをあまりに痛々しくやってしまうと笑えなくなる。こういうのは、やり過ぎの一歩手前で抑えておくところにテクニックが潜んでいるのだが、くまみこでは最初から飛ばしていた。
アニメを見ながら「こんなドギツイいじめシーンは売上にはマイナスだなー…」とは思いつつ、個人的にはリョナ描写というか…、女の子が痛々しい目に合うのは好きなので見ていた。でも、おかしな演出だと思っていた。
それが最終回に来て爆発した。「まち」をサポートするはずの「よしお」というキャラは、「まち」が精神的に追い込まれても、巫女なんだから、巫女というのは生け贄のようなものなんだから、彼女には犠牲になってもらう、という内容のセリフを口走る。こうなると演出という枠を超えて、主人公の扱いが変わってくる。完全にいじめになってしまっていた。このシーンは原作にはないらしい。
それだけでなく、物語後半、完全に心が壊れた「まち」に対して、くまの「なつ」は、もういいんだよ、何も考えなくていいんだ、と、彼女の今後の成長を否定。このシーン自体は原作にもあるらしいのだが、先ほどのシーンと組み合わせて演出されると、真に迫ってしまう。先程も書いたとおり、こういうシーンはやり過ぎればギャグではなくなる。
最終回後、アニメの脚本担当はツイッターを消して逃亡。…なのか理由は不明だが、数年続いたアカウントをいきなり削除した。さらにフェイスブックの仕事履歴からも「くまみこ」を削除してしまったらしい。
…と、色々闇を抱えたアニメになってしまった。
思うことは色いろあるのだが、まず、このアニメの演出が全体的におかしいということに、作ってる人間の誰も気が付かないのか? ということが、恐ろしいと思った。多分、真面目に作ってこうなんだと思う。それが恐ろしい。
それから、脚本家は逃げることはないのでは? という思い。もう世に出ちゃった以上ずっと残るのだから、でんと構えていればいいと思う。おかしい作品だとは思うけど、多分自分でもそう思ったから逃げてしまったのだろう。でもそれならば、なぜそうなったのか説明すればいい。大人の事情で説明も出来ないこともあると思うが、そこは含みを持たせつつ、謝罪すればいい。少なくとも、まじめに仕事した結果なのだから、何も後ろめたいことはないのではないか。
自分も同人誌なんて書いてて、責任の重さはアニメの脚本とは段違いだけれど、批判されたり、文句を言われることはある。その人数の多さは違うけど、対応は同じだと思う。まず、内容に関して期待に答えられなかったことは皆に謝るしかない。しかし、作っていた当時の自分は、その時はそうするしかなかったり、それがいいと思っていた。そういう事情もある。それに関してはもうしょうがないので、でんと居座るしか無い。そこに関しては批判される筋合いもない。
作品を否定されても、それは当然のファンの権利だ。一方だからといって俺のパーソナルな部分や、生き様まで否定されるいわれもない。そこは事情もあるし、お互いの礼儀もある。だから出来に関しては謝って、言われない批判は無視し、そのうえで反省し、次に活かす。そういうスタンスで良い。何も逃げることはない。
そして、脚本家以外のスタッフは話題にすら上がってないのも釈然としない。そもそも最終回以前に作品全体を通して「まち」を過度にいじめる演出がおかしいし、脚本だって、監督がそうしなさいと言ってるからそう書いたはずなんだし、それがなんで脚本家の責任みたいになっているのか。(…そういうのも含め、彼は逃げるべきではなかったと思う)
ともかくなんか、色々すっきりしない出来事になってしまった。 最終回の演出も、事の顛末も、下手なホラー作品より怖い。 | | |